昭和五十四年十月九日   朝の御理解
御理解第三十六節
「日本国じゅうのあらゆる神を皆信心すると言うが、それはあまりの信心じゃ。人にものを頼むにも、一人に任すと、その人が力を入れて世話をしてくれるが、多くの人に頼めば、相談にくれて物事はかどらず。大工を雇うても、棟梁がなければならぬ。草木でもしんと言うたら一つじゃ。神信心もこの一心をだすと、直ぐおかげが受けられる。」                        一心をだすとすぐおかげが受けられると、ですから神様がそれをお聞きになり御覧になって、あっ、この氏子が一心を立てるというものは、これは本当のものだと神様が感じられる。そして神様があの手この手でその一心が真実かどうかを試される。必ずそういう働きがおこります。これが、こんな事言いよるが、一心でございますち言いよるが本なっ子っじゃろかと思うてね。もうそれこそ、あらゆる角度から神様がそれを試されます。そしていよいよ間違いの無いという一心が出たときです。すぐにおかげが受けられる、と言うのは、一寸今日は思い付いたように一心を出す、と言うのでは本なもんじゃない。それは例えばこうやって御理解を頂きながら、あっ、そうだここのところに一心を立てようと、皆さんが思われますよね。ですから、その思うた一心を、なら今日思った一心が嘘ではなかろうけれども、それが何日かの後になってくると、ゆるんだり、1年たったり、2年たったら一心を立てたのは何処へやらというようなことになるようなものではおかげは受けられんと思うのですね。すぐにおかげが受けられるとおっしゃるのだからね、私は教祖の神様への教えというものは嘘とは思われないと思う、思うちゃならんと思う。果たして自分が一心を立てとる一心が本当な事かどうかと、その一心とてもまた神様に通う一心じゃなからなきゃならんのですね。おかげの受けられないことに、一心を立てたってこれは駄目です。                            だから自分で段々、ははあ、自分はこういうところにおかげは受けられないなあ、と言うことが分かりますよね。御理解をいただきよりますと、御本部から帰りました日でした。頂きました事の中に、ある信者が、も、この人は非常に浪費癖があるんです。金がありゃもうそれこそあるが上に、もうそれこそ、いらんもんでもかわにゃでけんち言うごたる。一つの病的なんです。もう、そのと思われるくらいに浪費癖があるんです。そしてお金にはいつも不自由しとるのですね。そこから借りたり、ここから借りたりでやっておるというその人が私に、親先生と言って、も、慎重な態度で私に、そのものをいうんですよ。親先生本当に合楽の御造営、合楽建設もこのように立てられて、あっして段々おかげを頂いていっておるのに、私はある人のところに行きましたら、鏡台の前に一本何百円もするというような花が一本入れてあった。あっいうことではあの人も立ちゆかんし、なら、御造営のおかげを頂きたいといっても頂けんでしょう、と、どうぞあの人が改まることができますように、と言って、私にその内緒ごとを言うように頼むお知らせをいただいたんです。そして私はそれを聞きながら、ほほう、自分のことは棚にあげちからひとんごとん頼みござる、と言うふうに私がおもったんですね、だから私は今日の一心をたつればすぐにおかげが頂かれる。例えば自分がそこに難儀を感じておる、いつもお金には不自由ばかりしておる、という人がどうでも億万長者のおかげでも頂きたい、と言うような大きな願いを立てたならね、もうそれこそ自分のことやら、いらんことには一銭も使うようなことには致しませんという信心です。そこに一心がたったらです、もうその人は絶対お金に不自由するようなおかげはしようなことにはならないと思うんです。だから自分が今お金に難儀しておる、それが自分がその浪費癖という病的なものを持っておる、これではいくら神様にさかたんぼうってもおかげは頂けまい、と、まずわからにゃいかんです。
 それで、どうぞどうぞと神様にお願いいたしたところがね、神様がおかげを下さるはずは無いです。だからこれは自分のおかげの受けられないもとだと言ったようなものを発見しわからしていただいたならばです。そのことに対する信心は日々の改まりが第一とおっしゃるが、そのことに改まりに改まりを重ねていく、と言うところに一心をたつればおかげになるです。すぐにおかげになる、ね。
 昨夜御祈念が済んでからもうかならず孫達が一遍はどやどやと私の部屋にやってくるんです。私がジュ-スをストロ-でこう飲んでおりました。そしたら聡子と恵城が私のストロ-で自分も飲みたいというわけです、それで恵城が先にストロ-を付けましたら、お姉ちゃん方がどういうかと言うと、『あんたはおじいちゃまのば飲んで、おじいちゃまは神様よ、ち、のんじゃでけん。』と、言いよるとです。したら恵城がそれに言うことがですね、『僕は三代様よ。』という訳ですよ。『神様どうしだから僕はいい。』ち言うこった。(笑)私は家内と2人で顔を見合わせて、も、びっくり致しました。そしてまた本当に腹を抱えんごとして笑いました。その言い方の、何というのでしょうかね、もう本当にサラサラとそれを言ってのかすわけですよ。僕は神様どうしだからええ。
 これはもう子供心にも3代様にならなんということは一心を立て取るようですね。どんなに思うても、もうだからあの人に紋付き袴を付けさせますともう自分なもう態度から変わりますからね、この人は、僕はもうやっぱ三代様にならなんと思うとる。だから神様どうしだから僕は飲んだちゃよかというわけですね。
 本当にね、今日皆さんに聞いて頂きたいのは一心を立てても曲がらない、と言うことを神様が感じられたらですね、ならできてしもうとらんでも、もう神様並みにお取扱いがあつこうてくださるようなおかげが受けられる、と言うことですよ。そこで、皆さんが、ならお道の信心は全信奉者がです。総生神を目指すことだとね、ここでは生神を目指す生神になる方法を合楽理念に解いてあります。結局はあれは生き神様を目指す手立てなんです。だから合楽理念は助かりの理念ということが言われるのです。ね、だから、その合楽の理念の中から一言でもです、自分の今言う浪費癖のある人がですね、私にそれこそ耳元に口をもってきてです、先生、誰々さんが鏡台の前に1本何百円もするごたる花をかざっちゃります、と、いよいよ合楽の御建設も進んでおるのですにね、鏡台に飾る花は野原から取ってきた花でもいいです、と、だからあの人が無駄使いをせんようにといってその無駄使いするその病的な人が私にものものをいってるわけです。だからこの人が本当にここがおかげを頂いたら本当にすぐにおかげをうけられるだろう。金に不自由することはなくなるだろう。と、私はその夢のなかで思うておる夢でした。ですから、自分のこれがおかげの受けられん元というものをです。わからしてもろうて、それこそ合楽理念にもとずいてそれをおかげを頂いて参りますなら段々たのしうなってくる、ありがたうなってくる、だから私は一心立てたばってんおかげいただかんじゃった、というて、それはあなたの一心はまだ本なもんじゃないから神様から御覧になって、ま、一時もしよるとすぐ崩れると神様がみとうしてござる。
 昨日私はある修行生の奥さんが参ってきてから、こういうお知らせを頂いたというて自分で書いてもってきたんですけども、土偏ですね、土偏に鼠をかいちゃる。私はだからこげな字があるじゃろかちみんなに聞きましたら、そげな字はありませんよちいうもん。土を書いて鼠ち言う字がかいちゃる。自分で書いてきたんです。そして次ぎには、シ偏に、これは窪みという字のようですね、シ偏に空という字を書いて、至るという字を書いてある、シ偏に空という字ね、書いてどこどこ至るという、至るというような字、これは窪みという字のようですね、ね。お道の教師にでもなろうというくらいだからそれこそ一心を立てなければ出来ないことですね。ところがその土の信心を本気でやろうと思ったら、ちょうちょうと鼠が齧ってしまうというような、言うならそういう浪費癖じゃないけれども、そう言うようなくせのある修行生なんですね、一旦こうと決めたらすばらしいところがあるかと思うとガタガタと崩してしまうような感じなんですね、言うならせっかく土の信心を一心を立てたのにもかかわらず、ね、鼠がかじってしまいよる。シ偏に空、さんずいというのは、いつも言うように自然の働き、ね、そう言うことをしよったらね、言うならば、空というのは空になる、空に至るということ、それが信心の窪みになってそこからおかげを落とすもと、いわゆる願いの、言うならば一心を立てとるにもかかわらずその一心を貫かなかったら窪みになるぞ、鼠にかじられるぞ、と言うことです。
 これは修行生だけのことではありません。皆さんの場合でも一心を立てたならそれを貫こうということが信心なんです。おそらく私のほうの、なる孫の恵城がです。これだけは貫くでしょうね、そういう思い方だけはね、もう、僕は三代様にならなんと、こうおもうとる。この思いを貫くことでしょう。
だから僕は神様どうしじゃからおじいちゃんがいただきよるとでもいただいたっちゃよか、とこういうわけなんですね。笑い話のようなことですけれども非常に私は深い一つの理がそこにあると思うです。
 皆さんが本当に生き神様を目指していただくというならです。その手立てというものはもうただ一言二言では出来ますまい。けれども、それとても合楽理念をひもとかせて頂くと、それこそ、たのしうできるようにね、その気になれば出来るように、火の行、水の行せんなんといったような難しいことではなくて、その気になれば誰でもできるように説いてあるのが合楽理念なんです。ね、だから貫くということ、だから一心を立つるとすぐにおかげを受けられる、とおっしゃる一心とは直ぐにおかげが受けられる一心とは、神様が御覧になって、この氏子が一心にというてねがっとる、これは本当だと神様が感じなさったところから生まれてくるおかげだと思うです。ね。そのときには嘘ではないと思いよるけれども、やはり惰性というでしょうか、ね、いつの間にかそれが崩れてくる、そういう一心では神様がおかげを下さるはずがありませんですね。
 だからまず、私はそのお夢にいただいたという、ね、自分がいつもお金に難儀しとらんなん、いつも人から金を借りなきゃならない。いわゆる金に難儀しとるなら本気でその人がですね、本当に私に金をこれから与えて下さったらね、それこそ、甘木の初代じゃないですけれどもね、その当時のお金のことですから百円のお金を神様の前に使うときにはですね、自分が一銭の金を自分のことに使うときのような気持ちで、と、おっしゃったということですね。
 また自分の金を一銭使うときにはそれこそ百円も金を使いよるように神様の前で平身低頭おわびお願いをしてからでないとつかわん。とおっしゃっとられるのです。ね。これだったらそれこそ金だけじゃない。それこそ、ありとあらゆるお徳を受けられる元がすべての点にそういうところがおありになっただろう、と、こうおもうですね、神様の御物を粗末にしない、も、枯れ枝、枯れ葉一枚一本だっておろそかにはせん、と、一心を立てとられる、ね。だからそこんところのね、一心を神様が見極め為さったときにいただけるのが、すぐにおかげを受ける、腹を立てんと決めたら、も、腹を立てん、無駄使いはせんと決めたら無駄使いはせん、ね。その一心がいただけ貫けれるものが自分にできたときにね、だから合楽理念の実験実証ということは、日々実験実証させて頂いておると、ね。おもしろうなってくるんですね。だから、そのおもしろいそのリズムにのってそのこと、一心を貫くことが出来るんですね。
 どうしても合楽理念を本気で一つ、なら皆さんがここでは土の信心に極まったというその信心をいよいよ徹底さしてもらう、ね。窪みができんように、鼠にかじられんように、本気でそこに一心を立てとる、そこに一心が立ったと神様がみそなわしたときに初めてすぐにおかげが受けられる、という働きが生まれてくるです。その信心によるならばもう限りがないです。ね、無尽蔵につながるおかげですね。僕は神様どうしじゃから僕はのんだっちゃよか。と言うことにおそらくなるでしょうね。恵城がね。
 この一心を私は貫かせていただくということ、皆さん一つ神様同志になれれるような一心をね、いわゆる一念発起を一志一心である一つの志を一心に貫く、という、もう、信心にはどうでもこの貫くということがいるですね。
 これはね、おかげを受けるということじゃないですよ。お徳を受けるためにはどうしてもいわゆる生き神様を目指すというほどの信心ならばですね、絶対一志一心が貫かればおかげにはなりません。                   「どうぞ。」